なので私は美容院に行くことにした。
美容院が終わったのは夕方。
その足でスーパーに行き、ころに電話。
たま「ころ?夕食何がいい?」
ころ「シュウマイとツナサラダとそうめん。あっ!さっきお義母さん(たま母)から電話あったよ。帰ったら電話してみ。」
たま「んーわかった。」
たま母が電話をかけてくるのは珍しいことではない。「元気にしてる?」とか、そういう感じで・・・
ただ最近ちょっと気がかりなのは、おじいちゃん、おばあちゃんのこと。
おじいちゃん、おばあちゃんは、たま母の両親で84歳と83歳で(くらいだったと思う。以前たま母に聞いたら把握していなかった。)田舎で二人で暮らしていた。
でもここ二年くらいの間に、さすがに歳のせいか日常生活のこまごましたことができなくなり、たま父とたま母は、自分達のところへ呼び寄せお世話しようかと考えたけど(たま母は一人娘)、当の二人は田舎を離れたがらない。
仕方なく週何度かヘルパーさんに来てもらい、たま母も週一日か二日行って、なんとか年寄り二人で暮らしていた。
けど今年に入って、おじいちゃんがトイレに行っても尿が出なくなり、検査の結果、前立腺癌であることがわかった。
お医者さんの説明では、「まだ進行していないし、お年寄りは進行も遅いから、10年生きたとしましょう。あと10年でも平均寿命はかなり上回ってますよ?さらにもう数年生きれるかもしれない。どうです?それだけ生きれば十分じゃあないですか。どの道、高齢ですし、体力的に手術は無理なのですから。」とのことだった。
たま母はもっともだと思い、入院の必要はないとのことで、田舎へ連れ帰った。
尿は管を通して袋にとることとなり、袋が一杯になるまではつけっ放しで居られた。
でもその途端おじいちゃんは、袋の取替えと食事以外はずっと寝ているようになった。
両親がいつ行っても、静かに、それこそ、このまま二度と目を開けないのでは、と思うくらいに。
そして目が覚めると、水をたくさん飲む。起きている間はずっと飲み物のことを気にする。
以前から糖尿の気があった。
若い頃から、ここ数年前まで毎日お酒を飲んでいた。煙草も。
若い頃は相当飲んでいたらしい。おじいちゃんは、それはそれは真面目な働き者で、どうしようもない酒飲みではない。田舎の自宅でお店をしていたおじいちゃんの唯一のたのしみだった。だから誰も真剣に止めなかった。
でも数年前、自分の意志でお酒を止めたのだが、今度は甘いものをたくさん食べるようなった。子供みたいに。
目に見えて弱っていくおじいちゃん。
たま母とたま父は、これは糖尿のせいだと思い、おじいちゃんをまた病院に連れて行く。
おじいちゃんを連れて行こうとした両親に、おばあちゃんは、こう言ったそうだ。
「おじいさんを連れて行かないで。糖尿でもなんでも、好きなもの食べさせてあげて、それで死ぬならそれでいい。私らを引き離さないで。」
私はそれを聞いて悲しくなった。
昔から口ゲンカの絶えなかったおじいちゃんとおばあちゃん。
でも跡を継ぐ者もなく、年寄りふたりで口ゲンカしながら、助け合いながら暮らすうち、片時も離れたくない、離れられない存在になっていったのだろう。
80を過ぎた年寄り二人だけの田舎の暮らしは、どれだけ心細かっただろう。
両親は結局おじいちゃんを病院に連れて行った。
血糖値が驚くほど高く、すぐ入院し、点滴と食事制限となった。
するとみるみるおじいちゃんの具合はよくなり、顔色もよくなった。
さらにおじいちゃんは、至れり尽くせりの病院の生活が気に入って、「病院はすごくいいところだから、ばあさんも早く入っといでって伝えてくれ。」と言ったりした。
おじいちゃんが入ったのは、病院とケアハウスが同じ敷地にある病院。
退院後は病院の隣のケアハウスで介護を受けなから暮らすことになりそうだった。すぐ隣が病院なので安心だし、たまの両親が住む実家にも近い。
おじいちゃんの具合が落ち着いた先週、お見舞いに行ってきた。
ベッドの上に小さくなったおじいちゃんが座っていた。でもすごく元気そうだった。
「おじいちゃん、具合どう?」たまが言うと、
「どう?もなにもすっかり元気になった。それより、ばあさんが田舎を離れないなら、わしは田舎に帰る。アレ(ばあさん)は一人じゃよう居られんから。わしが居らんと。」
たま母は少しおじいちゃんを睨みながら、「でも家に帰ったらまた甘いもの食べるでしょ?」
するとおじいちゃんは、ベッドの横の引き出しからバナナを一本取り出して見せながら言う。「これ、朝食に出たバナナ。食べなかった。」
おばあちゃんのところに帰りたくて、自分で食事制限できることをアピールしてるのだ。
「おじいちゃん、病院で出たものは食べてもいいんだよ?」たまは言う。
にこにこ笑ってるおじいちゃん。。。
またくるね。そう言っておじいちゃんの手を握って別れた。安心していた。
そして今日。
30分くらいスーパーをうろうろして家に帰った。
ころはお風呂に入っていた。
食料品を冷蔵庫にしまう。
たま母に電話しなきゃと思いながら、受話器を取る。
受話器を取ったところで、ベランダに干した布団が取り込まれていないのに気づく。
布団を取り込み、改めて受話器を取り、電話する。
たま父が電話に出て、すぐたま母に代わる。
たま母「あっ たまちゃん?ごめんねー。別に用事はなかったんよ。ころ君今日お休みだったの忘れてて、たまちゃん今何してるのかなーって思って電話したんよ。せっかくのお休みのところ、お邪魔したね。」
たま「別に邪魔じゃないよ。トイレの改装工事終わった?(結局田舎に一人で居るおばあちゃんを実家でお世話することになり、トイレをバリアフリーに改装していた。)おばあちゃんはいつ連れてくるの?」
たま母「工事終わったからそろそろ連れてくるよ。」
それから、トイレがどう変わったかを説明するたま母。
ちょっと様子が変だった。
そして、
たま母「・・・・・・おじいちゃん、あれからまたいろいろ検査して、すい臓に癌が見つかって・・・」
たま「えっ?」
たま母「ころ君が家に居ない時に言いたかったんだけど・・・」
たま「ころは今お風呂だよ。」そう言って、リビングから隣の和室へ移り、襖を閉める。
たま母「すい臓に癌ができてて、7センチくらいの。それが管を塞いですい液の流れを止めてしまうんだけど、おじいちゃんは、少し、隙間があったから、そこから少しずつすい液が流れててなんとかなってるみたいなんだけど・・・でもお医者さんは、今生きてるのも不思議だって。」
心臓がバクバクいって、息がうまくできない・・・ 頭の中がグルグルする。
たま「手術はできないの?」やっとの思いで声がでる。
たま母「あの歳であの体力じゃもう無理・・・それに・・・」
たま「放射線治療は?!」
たま母「放射線治療も体力がいるの。副作用も出るし・・・・・どの道もう長くないんよ。それは知っててね。」
涙がどっと溢れる。胸と喉が痛くて苦しくて、喉の奥から、ひぃーん、ひぃーんって馬みたいな声が出る・・・
たま母「たまちゃん、泣かんの!ころ君が心配するでしょ!誰もが通る道なんだから・・・避けて通れないんだから・・・・仕方ないことなの。だからおじいちゃんによくしてあげてね。」
たま母も声が震えてる・・・
たま「でも、でも、何をしてあげたらいいの?」
たま母「会いに行ってあげて。それがいちばんだから。」
電話を切った後も涙が止まらなかった。
涙を手で拭って和室を出ようとしたら、襖のとこにティッシュの箱が置いてあった。
ころが置いたのだ。
それで涙を押さえながら、ころにおじいちゃんがもう長くないことを言った。
ころは黙って頷いていた。
その後着替えて、夕食の支度をした。でもその間ずっと泣いていた。
声を出さずに泣きながら、着替え、米をとぎ、シュウマイを蒸し、そうめんを茹でた。
そうめんの鍋を噴かしてしまい、蒸し器の水が少なくて鍋底を焦がして、それでも作った。
こんな日になんで自分は料理してるのか、わけがわからなかった。。。