ずいぶん長い間放置してしまいました。



いろいろあったもので。。。



とりあえず続きです。こちら初めての方は、まず『マッサージのおもひで1』をお読み下さい。




たま父にの車に乗せられ北へ走ること約30分。



隣町の田舎めいた場所に辿り着く。。。



更地に5・6件、同じつくりの小さな平屋の家が肩を寄せ合うように建っている。


その前に車を止めるたま父。



定期的に壁の塗り替えなどしてあるようだが、家の造りからして、築30年は経ってそうだ。



山の麓に小さい同じ造りの家が集まって建ってる風景は、まるで童話の世界のようだなとウキウキするたま。



たまは幼い頃から、ピーターラビットの世界が大好きで、今でも絵本やフィギュアを見て浸る癖がある。



無理やりその世界に結びつけ、しばし空想に浸るたま。うーんいい感じ。。。






車から降りると、たま父は自分の実家に行くときのように、なれた感じでスタスタ歩き、「はり

・灸・あんま ○○」と書かれた看板がつけられている家の引き戸をガラッと開け、「すいませーん!!」とすごい大音量で叫ぶ。


誰も出てこない。。。




「こんにちはー!!いませんかー!?」叫ぶたま父。


たま いくら耳が遠いといっても、そんな奥行きのない家。居ないのでは?


すると隣の家の引き戸がガラッと開き、中からインチキ臭い中華まんのキャラクターのような、ぽってりしたおじさんが出てくる。




たま、素敵なイギリスの森の中から、インチキ中華へ瞬間移動!


その中華おじさんを見るなり、たま父は「ああ!どうもどうも!」と親しい笑顔を向ける。



たま この人がゴッドハンドを持つあんま師か?隣で茶でも飲んでたか?


すると中華おじさんは、あんま屋の看板のある家の中に向かって、「おいさーん、お客さんだよー!!!」とまたしても大音量で叫ぶ。



たま父「あんまのおじいさんは耳が遠いからね、お隣のこのおじさんがいろいろお世話してるんだよ。」

不思議そうにしているたまに小声で説明してくれる。。。


すると、やっと家の中から、細くて小さな体の、大きな眼鏡をかけたおじいさんが、ちょこまかちょこまか(←ここすごく早く読む)と出てくる。



このおじいさん絶対背中にネジついてる・・・そう考えたのも束の間、驚くべき、おじいさんの第一声。






「いやッ!これは!先生!来てくださいましたかッ!」(耳が遠いので、声が信じられないくらいデカイ)



たま(((・Д・≡・Д・)))センセイ??誰?


「いやややッ(たま父、あわててる)どうも。。。今日はこの子を連れて来ました~」



ちょっと困った感じで、でもにこやかに答えるたま父。。。 なんかあんまり聞いてないおじいさん。。。



たま衝撃の事実Σ(゜ω゜) 

そうか、父さんは、たまの知らない間にサラリーマン辞めて先生になってたんだ。。。どうして一言、言ってくれなかったんだろ。もしかして知らなかったのはたまだけ?たま母とたま姉は知ってたのかな?父さん訳アリなんだ。。。


隙を見て、たま父の腕を突付き、ドキドキしながら聞いてみる。




「父さん・・・何の先生?」


たま父「えッ!あぁ うん・・・・・お医者さん・・・」



たま「えっ!!」


たま父「・・・・だと思ってるんだよ、おじいさんは父さんのことを何故か。何度も違うって言ったんだけどね、もう面倒だから、はいはいって言っとくの。」


困った顔で説明しながらも、ちょっと気分よげなたま父。



たま「なぁんだ、びっくりしちゃったよ。。。」


再びおじいさんへの説明に戻るたま父。



たま父「今日は私じゃなくて、この子をお願いします。」

中華おじさん、たま父の言葉をおじいさんの耳元で叫ぶ。。。通訳?


おじいさん「あい!わかりました!」(声デカイ)



たま父「あっこの子は私の娘ね。」

中華おじさんが通訳

おじいさんニッコリ。大きく頷く。「わかっとりますけ、先生。」(声デカイ)そして、(・∀・)にやにや


たま父「首が酷く凝ってるから。あと全身も適当に。痩せてるから力ゆっくり入れてやって。」

中華おじさんが通訳


おじいさんニッコリ。「ええ具合にしときますけ、先生。」(声デカイ)

たま父「じゃあ、40~50分後に迎えに来るから。」 えっ!?


たま父「おじいさんが変なこと言っても適当に相槌打っとけばいいから。」変なことって??

たま父「一人暮らしで耳が遠いせいか、独り言が多くてね、、、こないだ父さん来たとき玄関から呼んでも出てこなくて、台所の小窓が開いてたから、外から覗いたら、、、」覗いたら!?

「モクモクと上がる煙の中で、

『フンガッ~!!!フンガッ~!!!』って、






野菜炒めてた・・・・・」



ブ~~ン。。。走り去るたま父の車



施術室の寝台に横になるたま。


おじいさん、たまの首に触る。。。


「ガッ!!」(奇声)





肩を触る。。。




「ンガッ!!!」


背中、腰、脚、、、、






「フンガアァァ~!!!!!!」


おじいさん

((\\\(◎Д◎;)///))すごく慌ててる。たまの凝りようにパニック起こしたらしい・・・



おじいさん「待っとれよ~待っとれよ~」

(待ってますけど・・・)と思った瞬間、、、







ガッ!!


たま、首を掴まれる

たま ひえッ!!(゚Д゚;)


おじいさん「ここがっ!!」


たま「ここがっ!?」


「にぃ~がぁ~る~!!!」

ドッ!ドドドドドドドド~

ガッ!ガガガガガガ~

おじいさん「心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓胃・小腸・大腸・膀胱・胆嚢・三焦、五臓六腑に染ぃ~みぃ~わぁ~たぁ~るぅ~~」



たま ぎゃぼ~~~~~~!!!!☆●%(OДo;))))))





この状態が続いた30分後、突然


ピタッ!!



おじいさんの手の動きが止まる



ネジが切れたか!?

おじいさん「今日はこれくらいにしときますけ。」


ξ(ёДё)ξ ←たま、頭ぐちゃぐちゃ



その時、カタッ!と物音が・・・・



「先生!」おじいさんの顔がパッと輝く


振り向くと、、わずかに開けた引き戸から、恐る恐るといった感じでたま父が覗いてる。。。


たま くっ!!

たま父「終わりました?」

おじいさん「え~具合にしときましたけ。先生!」

たま父「たま、どう?」

たま「え~と。。。」

「え~具合になっとりますけ、先生!!」




帰り、駐車場でたま父が先に車に乗り込み、方向転換していた。たまは外で、見送りに出てきてくれたおじいさんと二人で立っていた。そして方向転換を終えた車に乗り込もうと、ドアに手をかけたその時、おじいさんが言った言葉が今でも忘れられない。。。とっても短い言葉。。。でも今でも心に残っている。。。














また来てくださいね、看護婦さん


≡≡≡\(゜О゜//)))))))))))FAR――――!! 



たま父が医師・・・


たまは看護婦・・・


たま父の説明を聞いたときのおじいさんの言葉
「わかっとりますけ、先生。」(・∀・)にやにや



たまは・・・




たまは・・・・















たま父の愛人看護婦?




≡≡≡\(゜О゜//)))))))))))NO――――!!





帰りの車でのたまの心境をご覧ください(『北の国から』調でお読み下さい)

あ~あ~~あああああ~あ あ~あああああ~~~ んんんん~んんんんん~ん♪

 

父さん・・・芝居も大概にしてください。たまは看護婦になりました・・・・
このことは、たまの帰りを待っている、母さんは知らないわけで・・・

もともと、これはたまの意志でなく、父さんがうった芝居が原因なわけで・・・

母さんの気持ちを考えると、とても話す勇気はなく・・・・
それはただの看護婦じゃないからで・・・・・・・・・・・


んんんんん んんんんん~♪ 
(北の国から2001 完) 

そして私の頑固な『凝り』なんですが、何と、その日の晩には解消されてました。

おそるべし!!!

久々の更新です。


皆さん肩は凝りますか?


たまはすごく肩凝りです。


今は専業主婦なので贅沢だから行かないけど、OL時代はよくマッサージに行っていた。


お洒落なフットマッサージの店もたまに行ってましたが、なんせひどい凝り様で、首なんてカチンカチン。


だからベテランの方の多い、いわゆる あんま に行くことが多かった。


最初はいかにもあんま屋といった感じの雰囲気に慣れなかったが、いつも行っているとなかなか楽しいところだった。


あんま師も客も和気藹々としていた。


自分に合ったあんま師さんがわかり始めると指名したり、その人といろんな話をしたり。。。



みなさんもご存知かと思いますが、あんま師さんは目の不自由な方も多い。


でも、お客さんの声や、お客さんの体に触った時の凝り具合などで分かるみたいで、「あっこないだ来て下さった方ですね!」なんて言って貰えて、嬉しかったりした。



私の行っていたところは、あんま室に寝台が8つくらいあった。あんま師さんもたくさんいて、別室で待機していて、受付からお呼びがかかると、あんま室に行ったり、外へ出張へ出たりしていた。


夜の閉店まで仕事するあんま師さん達には、会社が小型バスを用意していて、家まで送ってくれるらしかった。



以前私があんましてもらってるときに、あせった様子で受付の女性が駆け込んできた。


受付女性「あのっ 今女性のお客様が来られて、『若い男の子希望!』っておっしゃられたんですが!(゜Д゜;)」



施術中のあんま師&客一同 大爆笑!



あんま師一同手を動かしながら、、、「な~んじゃっ そりゃ!」(若い男性あんま師なんていない。皆ご高齢。)

女性あんま師A「さて、クイズです。この中で若い男の子に一番近い人は誰でしょう?」


男性あんま師A「わしか!?Σ(゜Д゜)」(推定65歳以上)


男性あんま師B「わしだろ~?(´∇`)」(上に同じく)


男性あんま師C「わしだ!(◇)」(推定70歳以上)



施術中のあんま師&客一同 大爆笑!



夜の小型バスでの送りといい、指名制といい、お客様には至れり尽くせり、「また指名してくださいね。」なんてお客様に名刺を渡したり、そう、あんま屋さんって、ホストクラブとかクラブとよく似てる。



そういえばこんなこともあった。。。


寝台の上に横になって、あんま師さんが来るのを待っていたが、なかなか来ない。


「おかしいな~」と起き上がって入り口の方を見てみると、入り口から2つ目の寝台のカーテンに人が巻き付いてフンガフンガ言ってる。。。


私のあんま師さんだ!全盲の方だ!


たま「大丈夫ですか!? 私はここです!」


あんま師 フンガッフンガッ カーテンにすっぽり覆われている。。。


周りに他のあんま師達がいるのだが、目が不自由な方ばかりだったのか、皆平然と黙々とあんまを続けている。



たま「今そちらに行きますから!」


あんま師「いえ、すぐ行きますけ!そのままそこでお待ちください!」


たま オロオロヽ(;゜ω゜)ノ


あんま師 落ち着いてゆっくりカーテンを引き剥がし、今度は壁に手を這わせ、そろりそろりとやって来る。


たま 祈るような気持ちで見守る。。。


無事たどり着く。。。


あんま師「ふうっ! ご心配おかけしましたの。さぁ始めましょう。」


たま(;ω;)うる~(←じじばばっ子、お年寄り大好き、いつもお年寄りを見ただけで涙がでそうになる人)



先ほどの状況、たまの頭の中では。。。。



じぃ「姫~!!今助けに参りますぞ~!!」崖の上へと登るじぃ。

たま姫、崖の上から見守る。

そこへ現れた悪いやつらがじぃに向かって布を落とす。

じぃ、布に絡まり前が見えない。

たま姫「じぃ、危ない!姫が今そちらに参ります!」

じぃ「姫!危のうございます!今じぃがそちらに参りますのでそこでお待ちくだされ~!」



となっていた・・・(T⊥T)ええ話や~




そんなこんなで、仕事のストレスと疲れをあんまで癒していたのだが、ある休日、どうしようもないくらいの凝りで、頭痛がして気分まで悪い。




たま「う~う~(´Д`;)」


たま父「こりゃマッサージだな!(・ω・)/」


たま「でもいつも行ってる所は、仕事帰りに行く所だから、ここ(自宅)からは遠いんだよね。。。」


たま父「最近父さんが行ってるあんまへ車で連れて行ってあげるよ!すごくいいんだよ、そこ。」


たま「そこって、どんなとこ?」


たま父「おじいさんが自宅で一人でやってるんだよ。そのおじいさん、えらく耳が遠くて、ちょっと変わってるかもしれないけど、気にしなけりゃいいから。」


たま (・ω・)!「そこ行ってみる!」(おじいさんに弱い)



たま父の車に乗せられ、北の山の麓のあんま屋へ・・・


そしてそこで、和気藹々とした あんまライフ を覆す、アンビリーバボー な体験をしてしまうのだった。



続く。。。



先日、出張というか、研修のようなものへ行ったころ。


それはいいのですが、そうなるといつも問題が生じる。


それは、、、レポート。。。


出張や研修に行ったら、その報告のため、会社にレポートを提出するのですが、ころはレポートが大の苦手。


レポートが苦手な方はたくさんいらっしゃると思うのですが、ころはまた特別なのである。


毎度のことながら、出張から帰ってきてレポートに取り掛かったころが、深夜まで、うんうん唸っている。


どうしたのかと、起き出してみると、レポート用紙は真っ白。


たま「書けないの?」


ころ「うーん。。。」


研修で使った資料が横に置いてあったので、見てみると、書く材料はたくさんあるように見える。


たま「ここに資料あるじゃん。この中から適当に抜粋して自分の意見書いたら?」


ころ「そうだね!」


1時間後・・・


ころ「たま~書けたから、ちょっと読んでみてくれない?」


読んでみる。。。


『今回の研修で、僕は中堅社員としての自覚がないことに気づかされました。

これからは顧客の対応や自分自身の資格の取得に積極的に取り組みたいと思いました。

このような研修も、自分で進んで参加を希望していくようにならなければならないと思いました。

今回の研修に参加させていただき、ありがとうございました。』


たま「・・・・・・・・・・」


ころ「どう?(自信ありげ)」


たま「ころ・・・研修で何を勉強してきたの?」


ころ「・・・・・・・・・・だめ?」


たま「いじわる言うわけじゃないんだけど・・・この内容なら、研修行ってない人でも書けるよね・・・」


Σ(゜ω゜;) ころ、衝撃の事実に固まる・・・


たま、資料を広げ、「資料のここを抜粋してさぁ、こんなふうに書いてみたら?あっここにもいいこと書いてあるじゃん。これについても書いてみたら?私だったらこう書くな。」と、ころの参考になればと、頭で適当に組み立てた文章を口にしてみる。


たま「どうかな?」


ころ「たまはすごいね~どうしてそんなにつらつらと言葉が出てくるの?」感心しているころ。


その言葉に調子に乗ったたまは次々意見を言う。


それを自分の言葉で書こうとするころ。だが、いざ書こうとすると、やはり書けない。


ころ「なんか腹立ってきた。。。」


たまΣ(゜ω゜;)やばっ


たま「まぁね ころの意見を書くのがいちばんだよね。邪魔してごめんね。もう寝るね。おやすみ~」


退散するたま。


そう、ころは書きたくても書けない・・・日本語をあまり知らない・・・


ころは日本人・・・けれどいつも日本語に苦しむ、日本語難民・・・


「僕は理数系の人間だから。」


ころはいつも言う。しかし果たしてほんとにそうなのだろうか?


ころと結婚して以来、ころの数々の質問に答えてきたたま。


テレビを見ながら、新聞を読みながら、いつも首を傾げてはたまに聞いてくる。


「一期一会ってなに?」


「煩悩ってなに」?


「ケータリング(日本語じゃないかもしれないが)ってなに?」


「スウィーツってなに?」


「相殺ってなに?」


「断腸の思いってなに?」


「敏腕ってなに?」


「折り目正しくってなに?」


「豪州ってなんだろう?」


まだまだ数え挙げればきりがない。。。



時代物のドラマなんて見ると最悪である。



以前2人で『大奥』を見てたのだが、首を傾げてるころ。。。そして呟く。。。




ころ「わからない・・・」


たま「えっ なにがどこが?」


ころは毎週見てたわけではなかったので、内容が理解しにくいところがあるのかと思い、説明してあげようと思ったたま。


しかし・・・




ころ「みんな、なにを言ってるのかが、わからない・・・」


現代語もわからないころに、時代物は難しすぎたようである。。。


そうそう、研修で、自己分析テストというものをしたらしく、その結果表を持って帰っていたので、見せてもらったのだが、これには爆笑してしまった。


結果は、模範的行動力、コミュニケーション力、協調性、発展的思考力、論理的発言力、を五角形グラフにしたもので、全てに長けてる人は、綺麗な五角形になるのだが、ころは鋭くとんがったり、引っ込んだりした極端な形になっていた。


評価10段階で、ころは、模範的行動力7、コミュニケーション力10、協調性10、発展的思考力0、論理的発言力0、となっていた。


当たり過ぎててうける~(≧∇≦) でも0ってすごいよね。。。


ころは、この結果にはさすがに落ち込んでいたので、


「いいじゃないの、ころ。ころは仕事熱心で上司にも可愛がられてるし、お客様受けもいいし、職場の人みんなと仲がいいし、言うことないよ。発展的思考とか論理的発言とかに優れた人って、結構理屈っぽくて煙たがられるよ~」


と、慰めておきました。


ころは「そうだね♪」とすぐに立ち直ってました。


ころは体育会系の人間で、スポーツをしたり、見たりするのはとにかく好きなんだけど、新聞は読むけど本は一切読まない。まぁ、ころの性格はそんなところからきているのでしょう。とにかく人からはものすごく好かれます。


自己分析テストで模範的行動力というのがありましたが、ころはこれには確かに優れています。


2カ月くらい前、ころが会社の人たちと飲みに出掛けて、なんの連絡もせず、朝6時過ぎに帰ってきたので、玄関の扉にチェーンかけて、30分ほど締め出しました。


しばらくドアをガチャガチャやってたのに、静かになったので、「あきらめて、すぐ近くのコンビ二へ立ち読みでもしに行ったのかな」と思いながら、ころの携帯に電話してみると、、、なんと、ころは、


マンションのトランクルーム(物置部屋)の中に膝を抱えて入っており、たまは怒りも忘れて爆笑してしまいました。


以前、ころ父が冗談で、

「ころ、もし、たまちゃんにマンションから締め出されたりしたら、ここ(トランクルーム)に入るんだぞ。」ところに言っておりましたが、ころも「わかったよ!父さん!」と真面目に答えておりましたが、まさか本当に入るとは、、、、、


模範的行動力に優れていると言ってやってよいのではないでしょうか?






















たまじぃじがすい臓癌であることが発覚し、もう長くはないかもしれないとわかり、目の前が真っ暗になったたまですが、いまは希望をもってじぃじに会いに行っています。


じぃじは太平洋戦争の10人に1人の生き残り兵士。きっと生きてくれる!お医者さんはじぃじがいま生きていることだって不思議だといっているのだから。


じぃじが入院して、田舎に1人残ったたまばぁば。心配した両親は家へ呼び寄せた。


たまばぁばはもともと体が弱く、胃が特に弱いせいで、体重が30キロしかなくて、日常生活を送るのもやっとといった感じ。


食べれるものも少なく、体調が一番悪かった時期は、肉も卵も牛乳もだめ、(食べたら体が拒否反応を示して湿疹が出る)野菜や新鮮な白身の魚、パン、米などを小鳥のようにちょっとずつ食べていた。


最近ではちょっとずついろんなものが食べられるようになったのだけど・・・


じぃじがもう長くはないと知り、ショックを受けたばぁば。じぃじのことを知った日は一晩中泣いていたらしい。

食事も摂らず部屋に引きこもっているのでは、と心配になったたま。


ちょうどいい具合に、ころが出張だったので実家に泊まりで駆けつけてみたのだけど・・・


そこで見たばぁばは・・・


肉も食べれば、卵も食べる、牛乳も飲む。1日3食とおやつまで・・・


普通の人から見れば量は少なめではあるが、以前からしたら信じられない。


以前は食べることが苦痛でたまらないと言っていたのに、食事時間が近づくと自室から出てきて率先して台所に立つ。


午後3時頃、居間でたま母とじぃじの話をしていたら、ばぁばが部屋から出てくる音がする。


お手洗いかな?と思っていたら台所に現れ、パンと牛乳を出し、手に持って自室へ戻る様子。


なんだかあっけにとられてボーッと見ていたら、ばぁばがいきなりクリッと振り向き、


「たまちゃんはダイエット??」


そう言って微笑みながら去って行った。。。


声を押し殺して、笑いの発作に絶えるたま母。


なんだかつられて笑ってしまったたま。


たま母「おかしいでしょ?『ダイエット??』だって・・・ 食欲あるのはいいことなんだけど、いつもあとで胃を悪くするから、食べ過ぎはよくないんだけどね・・・でも食べたがるのよ・・・なんだか最近体重増えてるみたいよ。」


たま「ストレスで食べてるのかな?」


たま母「そうじゃないと思うよ。」



そして夕食。。。



その日は焼肉だった。


ばぁばは肉はたくさん食べられないだろうからと、ばぁばには鯛のおさしみを用意していた。


「ばぁちゃん、お肉柔らかいから、少し食べてみる?」たま母はそう言いながら、焼けたお肉を3切れほどばぁばの小皿に入れてあげる。


黙ってにこにこしているばぁば。


それでばぁばの食事は充分足りると思い、たま父、たま母、たまはその後焼肉を堪能した。あいだで1回、たまがばぁばに肉を勧めたが、にこにこしているだけのばぁば。


すると「もう食べられないでしょう・・・おさしみもあるし・・・ね?ばぁちゃん?」たま母がばぁばに聞いた。



ばぁばはにこにこ頷く。


というわけで、ばぁばを除く3人が引き続き焼肉を楽しんだ。


美味しくて、話も弾み、その夜は皆満足満足で床に就いた・・・






はずだった・・・・・・・が、不満だらけで床に就いた者が1名・・・・・・



ばぁばである・・・・



翌日、早朝から台所でうごめく人影が・・・・・



ばぁばである・・・・



後でたま母に聞いたところによると、ばぁばは、焼肉を腹いっぱい食べたかったそうである・・・


こんな暑い時に、おさしみなんて気持ちが悪かったそうである・・・


昨夜は腹が減って眠れなかったそうである・・・



ごっごめんね、ばぁば~(⊃Д`) 食事の間中ずっと我慢していたんだね~遠慮してたんだね~つらかったろうに~お肉余ってたのに~


これからはもっとばぁばのこと気遣ってあげなくちゃ。。。



午後からは皆でじぃじの病院へ。


じぃじに会えるので、ばぁばも嬉しそう。。。


じぃじに会ったばぁばは、じぃじの体をあちこちさすりながら、

「おじいさん、つらい?しんどい?私らも、もう歳だから、早く神様にお迎えに来て貰わないといけませんねぇ」涙目でそう言っていた。


痩せて小さくなったじぃじとばぁばが寄り添ってる姿にたまも泣きそうになる。じぃじだけでなく、ばぁばも弱々しくみえた。


少しして、「トイレに行ってくる。」とばぁばが言った。


「ついて行くよ。」とたまが言ったら、「ひとりでいけるからいいよ。」と言うのだけど昨夜の焼肉の件もあって、遠慮してるのではと思ってついて行った。転んで骨折でもしたら大変だ。


杖を突いて歩くばぁば。。。弱々しくなったなぁと思いながら横を歩くたま。


そのとき、前方に敷マットが置いてあるのを発見!


これは危ない!足を引っ掛けては大変だ!とばぁばに注意を促そうとするたま。


たま「ばぁば、そこに・・・・」言いかけた瞬間、ばぁばの足は上へ高らかに上がり、大きくマットをまたぎ、最後に カツンッ! と杖で床を突いた。。。華麗な足裁き。。。


そしてさっさとトイレを済ませ、病室へ戻るばぁば。


その後病院を出るときにエレベーターに乗った。エレベーターの扉のところの溝に杖を挟まないようばぁばに注意を促そうとしたのだが、その瞬間、杖は大きく振り上げられ、溝を越えていき、最後に カツンッ! と床を突いた。。。


 


どうやら・・・・・・・・・・・・・






ばぁばは元気らしい・・・・・・



じぃじのこと、一晩中泣いて、すっきりしたのかな・・・


戦時中を生き抜いた女って強いなぁ・・・


でも生きるってそういうことだよね・・・・


泣いてばかりいられない。病人を看病する生活はハードなのだ。


しっかり食べなきゃ身がもたない。 おちおち転んで怪我してられない。


ばぁばを見てると元気がでるよ・・・時々笑っちゃうよ・・・



なんだかばぁばに勇気を貰った たま なのでした。


























今日はころがお休みで、ころは相変わらず家でごろごろ。

なので私は美容院に行くことにした。


美容院が終わったのは夕方。


その足でスーパーに行き、ころに電話。


たま「ころ?夕食何がいい?」


ころ「シュウマイとツナサラダとそうめん。あっ!さっきお義母さん(たま母)から電話あったよ。帰ったら電話してみ。」


たま「んーわかった。」


たま母が電話をかけてくるのは珍しいことではない。「元気にしてる?」とか、そういう感じで・・・


ただ最近ちょっと気がかりなのは、おじいちゃん、おばあちゃんのこと。


おじいちゃん、おばあちゃんは、たま母の両親で84歳と83歳で(くらいだったと思う。以前たま母に聞いたら把握していなかった。)田舎で二人で暮らしていた。


でもここ二年くらいの間に、さすがに歳のせいか日常生活のこまごましたことができなくなり、たま父とたま母は、自分達のところへ呼び寄せお世話しようかと考えたけど(たま母は一人娘)、当の二人は田舎を離れたがらない。


仕方なく週何度かヘルパーさんに来てもらい、たま母も週一日か二日行って、なんとか年寄り二人で暮らしていた。


けど今年に入って、おじいちゃんがトイレに行っても尿が出なくなり、検査の結果、前立腺癌であることがわかった。


お医者さんの説明では、「まだ進行していないし、お年寄りは進行も遅いから、10年生きたとしましょう。あと10年でも平均寿命はかなり上回ってますよ?さらにもう数年生きれるかもしれない。どうです?それだけ生きれば十分じゃあないですか。どの道、高齢ですし、体力的に手術は無理なのですから。」とのことだった。


たま母はもっともだと思い、入院の必要はないとのことで、田舎へ連れ帰った。


尿は管を通して袋にとることとなり、袋が一杯になるまではつけっ放しで居られた。


でもその途端おじいちゃんは、袋の取替えと食事以外はずっと寝ているようになった。


両親がいつ行っても、静かに、それこそ、このまま二度と目を開けないのでは、と思うくらいに。


そして目が覚めると、水をたくさん飲む。起きている間はずっと飲み物のことを気にする。


以前から糖尿の気があった。



若い頃から、ここ数年前まで毎日お酒を飲んでいた。煙草も。

 

若い頃は相当飲んでいたらしい。おじいちゃんは、それはそれは真面目な働き者で、どうしようもない酒飲みではない。田舎の自宅でお店をしていたおじいちゃんの唯一のたのしみだった。だから誰も真剣に止めなかった。

 

でも数年前、自分の意志でお酒を止めたのだが、今度は甘いものをたくさん食べるようなった。子供みたいに。





目に見えて弱っていくおじいちゃん。


たま母とたま父は、これは糖尿のせいだと思い、おじいちゃんをまた病院に連れて行く。


おじいちゃんを連れて行こうとした両親に、おばあちゃんは、こう言ったそうだ。


「おじいさんを連れて行かないで。糖尿でもなんでも、好きなもの食べさせてあげて、それで死ぬならそれでいい。私らを引き離さないで。」


私はそれを聞いて悲しくなった。


昔から口ゲンカの絶えなかったおじいちゃんとおばあちゃん。


でも跡を継ぐ者もなく、年寄りふたりで口ゲンカしながら、助け合いながら暮らすうち、片時も離れたくない、離れられない存在になっていったのだろう。


80を過ぎた年寄り二人だけの田舎の暮らしは、どれだけ心細かっただろう。



両親は結局おじいちゃんを病院に連れて行った。


血糖値が驚くほど高く、すぐ入院し、点滴と食事制限となった。


するとみるみるおじいちゃんの具合はよくなり、顔色もよくなった。


さらにおじいちゃんは、至れり尽くせりの病院の生活が気に入って、「病院はすごくいいところだから、ばあさんも早く入っといでって伝えてくれ。」と言ったりした。


おじいちゃんが入ったのは、病院とケアハウスが同じ敷地にある病院。


退院後は病院の隣のケアハウスで介護を受けなから暮らすことになりそうだった。すぐ隣が病院なので安心だし、たまの両親が住む実家にも近い。


おじいちゃんの具合が落ち着いた先週、お見舞いに行ってきた。


ベッドの上に小さくなったおじいちゃんが座っていた。でもすごく元気そうだった。



「おじいちゃん、具合どう?」たまが言うと、


「どう?もなにもすっかり元気になった。それより、ばあさんが田舎を離れないなら、わしは田舎に帰る。アレ(ばあさん)は一人じゃよう居られんから。わしが居らんと。」


たま母は少しおじいちゃんを睨みながら、「でも家に帰ったらまた甘いもの食べるでしょ?」


するとおじいちゃんは、ベッドの横の引き出しからバナナを一本取り出して見せながら言う。「これ、朝食に出たバナナ。食べなかった。」


おばあちゃんのところに帰りたくて、自分で食事制限できることをアピールしてるのだ。


「おじいちゃん、病院で出たものは食べてもいいんだよ?」たまは言う。


にこにこ笑ってるおじいちゃん。。。


またくるね。そう言っておじいちゃんの手を握って別れた。安心していた。




そして今日。


30分くらいスーパーをうろうろして家に帰った。


ころはお風呂に入っていた。


食料品を冷蔵庫にしまう。


たま母に電話しなきゃと思いながら、受話器を取る。


受話器を取ったところで、ベランダに干した布団が取り込まれていないのに気づく。


布団を取り込み、改めて受話器を取り、電話する。


たま父が電話に出て、すぐたま母に代わる。


たま母「あっ たまちゃん?ごめんねー。別に用事はなかったんよ。ころ君今日お休みだったの忘れてて、たまちゃん今何してるのかなーって思って電話したんよ。せっかくのお休みのところ、お邪魔したね。」


たま「別に邪魔じゃないよ。トイレの改装工事終わった?(結局田舎に一人で居るおばあちゃんを実家でお世話することになり、トイレをバリアフリーに改装していた。)おばあちゃんはいつ連れてくるの?」


たま母「工事終わったからそろそろ連れてくるよ。」


それから、トイレがどう変わったかを説明するたま母。


ちょっと様子が変だった。


そして、


たま母「・・・・・・おじいちゃん、あれからまたいろいろ検査して、すい臓に癌が見つかって・・・」


たま「えっ?」


たま母「ころ君が家に居ない時に言いたかったんだけど・・・」


たま「ころは今お風呂だよ。」そう言って、リビングから隣の和室へ移り、襖を閉める。


たま母「すい臓に癌ができてて、7センチくらいの。それが管を塞いですい液の流れを止めてしまうんだけど、おじいちゃんは、少し、隙間があったから、そこから少しずつすい液が流れててなんとかなってるみたいなんだけど・・・でもお医者さんは、今生きてるのも不思議だって。」


心臓がバクバクいって、息がうまくできない・・・ 頭の中がグルグルする。


たま「手術はできないの?」やっとの思いで声がでる。


たま母「あの歳であの体力じゃもう無理・・・それに・・・」


たま「放射線治療は?!」


たま母「放射線治療も体力がいるの。副作用も出るし・・・・・どの道もう長くないんよ。それは知っててね。」



涙がどっと溢れる。胸と喉が痛くて苦しくて、喉の奥から、ひぃーん、ひぃーんって馬みたいな声が出る・・・


たま母「たまちゃん、泣かんの!ころ君が心配するでしょ!誰もが通る道なんだから・・・避けて通れないんだから・・・・仕方ないことなの。だからおじいちゃんによくしてあげてね。」


たま母も声が震えてる・・・



たま「でも、でも、何をしてあげたらいいの?」


たま母「会いに行ってあげて。それがいちばんだから。」



電話を切った後も涙が止まらなかった。


涙を手で拭って和室を出ようとしたら、襖のとこにティッシュの箱が置いてあった。


ころが置いたのだ。


それで涙を押さえながら、ころにおじいちゃんがもう長くないことを言った。


ころは黙って頷いていた。


その後着替えて、夕食の支度をした。でもその間ずっと泣いていた。


声を出さずに泣きながら、着替え、米をとぎ、シュウマイを蒸し、そうめんを茹でた。


そうめんの鍋を噴かしてしまい、蒸し器の水が少なくて鍋底を焦がして、それでも作った。


こんな日になんで自分は料理してるのか、わけがわからなかった。。。